2019/04/10 17:22
以前、La Voitureさんのタルトタタンがきっかけで、面白い本を見つけたとお伝えしましたが
そこにはタルトタタンの興味深い歴史が紹介されていました。
先日のブログはこちら
タタン姉妹はロワール河にもほど近いSologne(ソローニュ)のLamotte-Beuvronという地でオーベルジュを経営する両親の間に生まれます。
姉のStéphanie(ステファニー)と妹のCaroline(キャロリンヌ)もまた、オーベルジュを経営して、今も残るHôtel TatinをLamotte-Beuvron(ラモット=ブヴロン)駅の前に作ります。
リンゴのタルト、Tarte aux Pommes(タルト・オ・ポム)は、両親のオーベルジュ、そしてHôtel Tatinでも出され、評判のタルトだったとか。
タタン姉妹は1906年にHôtel Tatinを売却しますが、オーベルジュはその後も引き継がれて今もLamotte-Beuvronに残っています。
Hôtel Tarin(ホテル・タタン)
でもこの小さな村で評判のタルトが、どうやって広まっていったのでしょうか?
実はタタン姉妹直筆によるレシピや誕生秘話にまつわる記述は残っていないそう。
Henri Delétang氏の著書によると、Stéphanieのレシピを元にした地元の女性のメモが、レシピとして残っている最も古いものなのだとか。
その後、1926年に有名な料理批評家Curnonskyが「La France gastronomique(美食のフランス)」という本の中でタルトのレシピを紹介します。
さらにのちの1950年代に、このCurnonskyのレシピを元にしたタルトを、パリのレストラン「Maxim’s」がメニューに取り入れます。そのタルトの名前が、「タタン姉妹のタルト」。これがフランス中に知れ渡るきっかけになったと言われています。
あと気になるのは、タルトタタンが失敗から生まれたという話。
Hôtel Tatinでも紹介している、タルト生地を忘れてしまって後でのせた話が有名ですね。
実は、他にも様々な誕生秘話があるのだとか。焦げたリンゴを隠すためにタルト生地をのせた話や、中にはナポレオン3世が出てくる話もあるそう。(ナポレオン3世とタタン姉妹の年代は全く合わないのに!)
タルトを広めるために話を膨らませたとも言われていますが、本当にところはどうなんでしょうね。
ただ、タタン姉妹のタルトは焦げやすかったというのは本当みたいです。
というのは、当時彼女たちはかまどで作っていたので、この場合焦げやすいのも当然なのだとか。
(Hôtel Tatinにはなんとまだこのかまどが残っているんですって)
ですが、ここにひっくり返すタルトの秘密があるようにも思えてきます。
また、彼女たちはよく熟れたリンゴを使うことで、酸味のあるリンゴの果汁をしっかりと厚めのタルト生地に染み込ませていたそう。
何よりも、ここまで愛されるようになったのは、その美味しさゆえ。
タタン姉妹、ありがとう!
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写真のりんご on りんごのボルはLuneville(リュネヴィル)のものです。
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